お母さんは本を読む時間がない

”ははがよむ” あおきともこのブログ

6. 知ってもらうための第一歩は、公園で風に吹かれて

 みんなにニーズを知ってほしい

  私が ははがよむ でまずやりたかったのは、「小さい子どもを育てるお母さんは(自分の)本を読みたくても読む時間がないんだ」と、気づいてもらうこと。

 託児を始めている図書館への聞き込み体験から、やる・やらないは、気づくかどうかだという実感があった。気づきさえすれば、多くの人に本を読んでもらいたい人たちが動いてくれるに違いない、という他力本願な考えもあった。

 

 そう考えた理由には、出産直前で途絶えた私の経歴があったかもしれない。大学で文学を学び、新卒で入った出版取次会社では売れ行き調査や書店応援をしながら「いかに本を買ってもらえるか」「いかに本をほしい人に届けるか」を考える部署にいた。その後に潜り込んだ出版社でも「いかに手に取ってもらえるか」「何を渡せるか」「何を作ったらいいのか」を考えていた。

 ……こう言うと立派だが、これはしゃべり慣れた面接用の言い回し。実際は、考えながらもわからず、上手く動けず、パッとしなかった(この辺りを詳しく書くにはまだ時間が必要だ)わけなのだが、ともかく、本のことばかり考えてきたのは嘘じゃない。

 

 つまり私は、そんな当時の自分や現在の業界の人たちに「本を読みたいのに環境的に読めない人がいる」と知らせたかったし、「そこを何とかすべきでは」と働きかけたい思いがあった。必ずしもみんなが本を読まなければいけないわけじゃないけれど、読みたいのに読めない人がいるなら、そこは売上云々以前に、考える意義があるんじゃないか、と思ったのだ。

 出産を機に仕事から離れたものの、まだその仕事に関わっていたいという未練もあったのだと思う。とはいえ、遠ざかったからこそ気づいた「必要」でもあった。

 

 幼稚園で知った「輪読」 

  私は ははがよむ の最初のイベントとして「小さい子どもを育てている最中だって、自分のための時間を持つことは大切」という視点で、一緒に考えたり、話し合ったりする場を持とうと思った。

 いきなり業界の人や多くの人に知ってもらうのは難しいが、まずは身近なところから、みなさんがどう思っているのか、どんな状況にあるのかを知って、感触をつかみたかった。

 

 話しのよすがとして頭に浮かんだのは、たまたま一箱古本市で出会った『あなただけのちいさないえ』という一冊の絵本。大人でも子どもでも、自分だけの「ちいさないえ」に籠る時間は大切だよ、と丁寧に伝えるこの本を初めて読んだとき、私は驚きと充足感でいっぱいになった。「これだ!この本を、みんなで読みたい」

 

 子どもが卒園した幼稚園はキリスト教会の付属園で、月に一回、園長先生(=牧師先生)との「聖書の会」があった。私はクリスチャンではないため、どんなものか戸惑いながらも好奇心で参加したのだが、聖書の一節をみんなで読み繋いでいく「輪読」を中心に話しをする穏やかな進行は興味深く、楽しかった。

 「輪読」には、人の声を聞きながらみんなで文章を味わう良さがあった。この良さを生かして『あなただけのちいさないえ』を輪読してみたら面白いかも、と思いついた。

 

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罪悪感なく楽しみたい

 場を持つきっかけを作ってくれたのは、第5回で登場した「まちのおやこテーブル」さんだった。公園イベントで子どもも大人も読み手になれる「まちのおやこのお話し会」をすでに何度か開催していたことから、そこにジョイントしては、と声をかけてくれたのだ。

 

 ははがよむ の企画でつねに考えなければならないのは、「そのとき子どもはどうするの?」ということ。親が楽しむ間、子どもに我慢していてもらうのは本意じゃない。横で絵本を見たり、ちょっと遊んだりできるスペースが用意されているだけで大分違う。

 他の家族に付いてもらえない場合は心を離すわけにはいかないが、周りの大人みんなで見守っていれば、安心感は大きい。完全な「託児」ではなく、互いに気にかけあいながらそれぞれの時間を過ごせれば、いろいろなことができることに気づいた。

 もちろん、子どもと参加するのも良い。その時も、子どもに「付き合わせてごめんね」と罪悪感を持たなくていい。その点、公園というのは良い環境だ。外の空気を吸い人や鳥の声を聞くと、くつろいで楽しい気分になれるだろう。

 

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 こうして少しずつ形が見えてきて、ははがよむ 第一回イベント「みんなで『あなただけのちいさないえ』を読もう!」は開催された。5月のさわやかな風を感じながら、大きな木の下でゆったりと絵本を味わう時間は格別だった。絵本から、外の解放感から、本音が引き出され、閉じ込められていた言葉が飛び出して涙する人もいた。

 みんなで集まる時間は1時間にも満たないわずかな間だったが、それ以外の時間も図書館の団体貸し出しを利用した本や持参した本をテーブルにたくさん並べ、椅子を置いた。年齢性別問わず、公園に来た人たちがきままに利用していってくれた。

 

 参加者が殺到したわけでもなく(ほとんどが知っている人だった)、特に話題になることもないささやかな第一歩ではあったが、「もっとこうしたら」「これもできるかも」が出てきたし、仲間と一緒に考えたりしゃべったりするのが何しろ楽しくて、次を考えたくなる、大きな一歩だった。