お母さんは本を読む時間がない

”ははがよむ” あおきともこのブログ

0.はじめに

 小さい子どもがいる母も、自分の本を読む時間がほしい! 

 そんな心の叫びから、「ははがよむ」は始まりました。

 

 子どもがまだ小さかったころ、出かけるとどこに行っても「ママ」の顔を求められ、自分の好きなことをする隙間もないような窮屈な気持ちを味わいました。

 子どもと過ごす時間はとても幸せで楽しくもあったけれど、自分の好きなことについて話したり、子どもには不向きかもしれないものを楽しんだりすることを、世の中があまり歓迎していないように感じて、「つまんないな」と思いました。

 

 子どもが成長して少し余裕が生まれると、少し前に自分が切望した「自分の本を読む時間」を持てなかったことを、広く世に問いたいという衝動のようなものがこみ上げてきて、周りの知人にことあるごとにその話をするようになりました。

 「確かに!」と同意する人もいれば、「そんなこと、考えたこともなかった」と、私の勢いに驚く人もいましたが、反対する人はいませんでした。ありがたいことに、多くの人が「やってみたいなら、やってみればいい」と背中を押してくれました。

 

 名称については、少し悩みました。母のみならず、子育てしている父も、もしかしたら祖父母だって、自分の時間が必要です。「ははが」とすることで、逆に母を縛ってしまうのではないか、とも考えました。

 でも、現状として私の周りで同じニーズを抱えていたのは母ばかりだったし、なにより私自身が母として悩み、考えたことなので、思い切って「ははが」としました。

 

 「子どもも自分の好きな本を読むし、母も自分の本を読む姿をロゴマークにしたい」と、子どもの幼稚園で知り合えたデザイナーの友人に相談したら、とてもすてきな図案を考えてくれました。「ははがよむ」の言いたいこと、求める空気を的確に伝えるこのマークが、全ての始まりでした。

 

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 それでも初めのころは、「ははがよむ」と聞くや、母親が子どもに読むんだな、と想定して、子どもに絵本の読み聞かせをするグループと勘違いされることがよくありました。

 そもそも母というのは子に対応する肩書ですから、わざわざ名称に「母」をうたっている場合、そう考えるのは自然とも言えます。そういう意味では「私が読む」というあたりまえの呼称でもよかったのかもしれませんが、いや、そのあたりまえのことができないのが「母」なんですよ、ということを伝えられたら。そして、そんなことすら言う必要もない、母も自分の時間をあたりまえに持てる世の中になったら、「ははがよむ」は必要なくなるのだと思います。

 

 「ははがよむ」結成でかけがえのない仲間もでき、一緒に考える中で、子育て中にも自分の時間を持つ大切さを考える会を企画したり、仲間の得意を持ち寄ってみんなで本を楽しむ会を開いたり、公園に雑誌や本を持って行って子どもが遊ぶ傍らで本を読める空間を作ってみたり、自分たちも楽しみながらいろいろな試みをしてきました。

 2019年からは国分寺市の提案型協働事業に採択され、図書館託児の実践にも取り組んでいます。

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 自分がしんどかった時期からいまや7、8年が経過して、状況はだいぶ変わってきました。母だけでなく父も、それどころか、あらゆる肩書にくくられる違和感について、世の中が考え始めています。

 でも、まだ入り口にすぎません。全体像ではなく個別の方々を見る限り、少なくとも母を取り囲む状況はまだまだ窮屈そうです。

 

 もちろん、母自身としてそれほど窮屈に感じていない人もいますが、私が活動の中で出会ってきた方たちは、当時の私と同じくらい、またはそれよりももっと切実に自分の時間を必要としていました。

 切実の中身は人それぞれでも、「欲しいもの」は重なる部分があるから、私は当時の私のために、欲しいものを作りたいと思っています。

 

 このブログでは、これまで細々と自分なりにやってきたことの振り返りや、これからやってみたいこと、悩みや考えなどを気まぐれに書き綴ります。

 子育てする母の内情の一端を知ってもらえたり、もし同じようなことを何かやってみたいと思う人がいたら、どこか少しでも役に立つものになったりすれば嬉しいけれど、まあそんな大それたことは考えずに、つらつらと書いてみようと思います。

13.利用者がほしいものと、いまの自分がほしいもの

コロナで協働事業がストップ

 協働事業「小さい子どもを育てる人のための本の時間」も快調に進み、次年度に向けた提案も採択されて張り切っていた矢先に、「あいつ」がやって来た。

 人の集まる企画の中止の報せがあちらこちらから聞こえてきて、ついに私たちの事業でも2月後半以降で予定していた日程の中止が決まった。

 初年度がブツッと終了してしまったのはとても残念だったが、相手は得体のしれないウイルス。対策も固まらない中で託児や人が集まる企画を続けることはできないと、納得するしかなかった。

 

 やがて自分の子どもの学校も休校となり、ついには我々親の仕事もリモートや一部休止となってくると、家族全員がステイしたホームの中にはいびつな緊張とだらりとした停滞感が交互に膨れたり縮んだりして、たいして動いていないくせに疲労だけが溜まっていった。

 2020年度の協働事業の用意も宙ぶらりんとなり、「えーと、じゃあ、何をすればいいのかな……」と、動かない頭でもたもたと考えた。状況を打開すべく、世の中では次々と新しいアイデアが生まれていたが、ははがよむ が何をすべきか、なかなか浮かんでこなかった。

  

「コロナ禍」で子育てする人は

  ただ、図書館の託児サービスを利用したかった人たちのことを想像して、この状況で「小さい子どもを育てる人」たちがどんな思いでいるかと思うと、苦しかった。

 自分の子育てを思い返しても、産後数年(特に最初の1年)は子どもの体や動きの発達一つ一つが気になり、何が正常で何が心配なのかが分からず、小児科や検診で確認してもらうことで安心を得て、進んでいた。

 ところがその乳児検診まで延期になり(注:5月時点の状況)、親子広場も中止となったら、本当に孤独で不安なのじゃないだろうか。

 

 そう考えて嫌でも思い出されたのは、自分の子どもが0歳児のときに起きた東日本大震災だ。里帰り出産をした仙台から戻ってきて、1か月たらずのことだった。

 幸い実家には大きな被害はなかったが、よく知った場所が信じられない姿になり、たくさんの人が亡くなり、数では表しきれないほど多くのものが一気にうしなわれたことを報道で見て、文字通り胸がつぶれた。続いて福島の原発事故、計画停電、と自分の子どもの未来にも直結する恐怖と不安を突き付けられて、もう何がなんだかわからなかった。

 

 いま、目に見えないウイルスに翻弄されているお父さんお母さんたちも、同じような気持ちでいるのではないだろうか。

 そうだとして、ははがよむ にできることは何だろうか。本を読みたい気持ちなんておこるかな。図書館も閉館してしまったし、書店も閉めているところが多いから、本の紹介をしても読むことができないかもしれない。だいたい、本を読める状況にあるのかな……。

 

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 「応援を送る気持ちで」なんて他人事めいてはいるけれど

 悩みながらも、小さい子どもを育てている人への応援を送るような気持ちで、メンバーそれぞれがSNSでおススメの絵本を紹介する投稿をしたり、図書館や出版社などがコロナを機に開いた特設サイトをシェアしたりした。

 こうしたささやかな働きかけを、当時の私が受け取ったら喜んだだろうか? 

 すべて「わたしがほしい」から始め、常に「あの頃の私がほしかった?」と自問しながら進んできた ははがよむ だが、時間の経過とたくさんの人との交流を経て、私自身がずいぶん変わってしまったようだ。いったん足を止めて考えてみると、「当時の私がほしいかどうか」がわからなくなってきていることに気づいた。

 しかしいまは、それすら大して気にならなくなっている。そんな自問よりも「やってみよう」と思えることを、何でもやっておきたいという気持ちになっているのだった。

  

事業の再始動

 止まっていた協働事業は、9月から動き出すことが決まった。今年度は、ははがよむ スタッフが作る「本とおしゃべり とんとんとん (ともだち としょかん とおりすがり)」という場が事業に加わる。図書館託児サービスを利用した人もしていない人も、子どもと一緒にここに来て、本の話や子育ての話をできる気楽な場所にしたいと考えている。

 今年は人と会って話すことが難しい日々が続いているし、私自身のことでいえば、昨年はずっと一人で動いていて孤独だったので、仲間や利用者と会って話しができるのが楽しみだ。みなさんにとっても、ちょっとした息抜きになれば嬉しい。

  図書館と公民館、児童館をつなぎ、その中の人たちや私たちのような「ちょっと前まで小さい子を育てていた人」と、現在子育てに奮闘している人たちが交流できるような場所。そこで利用者と話しながら、「当時の私がほしい」だけではなく、「いまの人たちがほしいこと」を聞き、叶えていく段階に来ているのかもしれない。 

 そんな風に形が変わっていくのは、なかなか悪くない。どちらかといえば交流をやたら勧められることを苦手に感じていたはずの自分が、いまや交流の場を作っていることに違和感を覚えた時期もあったが、「本」を介して人が集まるなら楽しい、と思えるようになった。

 

 しかし同時に、いま現在の自分が欲しいものも、どん欲に求めていきたい。何ができるか。何をしたいのか。

 変わっていく自分の欲求も無視せずにいたら、またとんでもない衝動が生まれるかもしれない(少々怖いが)。

 

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おわりに

  ははがよむ を始めた時のことから現時点(2020年8月)までを振り返ったシリーズ「ははがよむができるまで」は、今回が最終回となる。

  これからは、ははがよむ がどう進んでいくのか、そして ははがよむ 以外での私と本のことを五月雨に書いていきたいと思う。

 いまと全く違う姿になっているかもしれないし、粛々と同じことを続けているかもしれないが、本のまわりをうろついていることだけは変わっていないような気がする。

 

 ※※

もし 「ははがよむ のようなことをやってみたい」「内容は違うけど、何か聞いてみたい」という方があれば、hahayomu@gmail.com までご連絡ください。

 図書館の託児サービスはもっと増えたら良いし、子育て中の人だけでなく、介護中の人も、近くに図書館や書店がない人、自分でそうした場所に行くのが難しい人もみんな、自分の本を読む時間を持つことができて、たまにはそうしたことを語らえるような場所があちこちに発生すればいいと思っています。

 

12. 自分のための1時間を、あたりまえに味わえるように       

「対等」が難しい

 私たちが手を挙げた「提案型協働事業」とは、「市民活動団体の自由な発想で市に事業を提案し,採択した提案を提案団体と市が共に実施するもの」(市のホームページより)。

 つまり、今回採択された「小さい子どもを育てる人のための本の時間」も、市と ははがよむ が対等な立場で一緒につくりあげるということだ。

 

 とはいえ、これまで一市民団体として申請を出して公民館を使わせてもらったり、図書館にチラシを置かせてもらったりしてきたという意味不明な「させてもらう」精神が育ってしまったうえに、何の後ろ盾もないただのチーム(任意団体)という意識が私を若干委縮させ、「対等っていっても、話しづらいなあ」というのが初めのころの正直な気持ちだった。

 図書館側も、これまで関わってきた市民グループとはまた異なる関係性に、戸惑っているように見えた。

 それでも何度も話をする中で、お互いに距離感を把握し、約半年をかけて「共に実施する」意識が醸成されていったように思う。

 

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協働事業用に作ったチラシと目印のロゼット

  

保育室のありがたさ

 保育を担当する人は、当初の予定では市民から募集し、子育てに少し余裕が出てきた方や、子どもが好きな方、本が好きな方から採用するつもりだった。話し合いの中で、公民館自身から保育室の保育士さんにお願いしてみる案を提案してくれた。

  公民館では、従来から小さい子どもを育てる親のための講座がいくつも企画されており、その時間中、子どもたちは保育室で過ごすことができる。市が選定した保育士さんたちは保育室の様子や通常の保育に慣れたベテラン揃いなので、安心感が大きい。

 私も半年間の講座を受講し、その間、子どもは保育室でお世話になった。子どもの発達や性格を見て、他の子との関りを促したり、親と離れる寂しさに寄り添ったり、ただ預かって見ている以上の保育をしてくれることがとても嬉しかった。

 公民館が企画する事業の保育は一定期間同じメンバーで同じ時間(2時間が多い)を過ごす保育がメインだが、ははがよむ の事業は参加者も毎回違うし、時間も1時間と短いので、保育士さんの意見を聞きながら十全に準備をした。

 

 「小さい子どもを育てる人のための本の時間」では、利用者は子どもを保育室に預けた後、図書館で好きなように過ごせる。ただし、万が一子どもに不調が見られた時にはすぐに声をかけられるように、目印のバッチを作った。

 チラシはいつもの方にお願いして、見やすく、伝わりやすく、スタイリッシュなものになった。

  定員は10時から4名、11時から4名。決して多くない人数とはいえ、果たしてどれほど申し込みがあるのか。チラシはあちこちに置いてきて、反応も感じてはいたものの、市報に募集が掲載されたのを見ると緊張感がいや増すのだった。

 

あたりまえになるといい

 ふたを開けてみると、受付初日から申し込みがあり、その後も続々とメールが届いた。1回目は空席があったものの、2回目以降はキャンセル待ちが発生し、リピーターも出てきた。

 どの利用者も、図書館から戻った表情は穏やかだった。

 これまで子どもたちを見守る役だった私は、この1年間は事務的なサポートに徹することになった。保育士さんとおかあさんとの様子を見守り、必要があれば手を貸し、質問や問題に対応する。図書館と公民館を行き来して、問題がないか確認する。

 仲間と一緒にワイワイ過ごした前年とは全く違う役回りで、少し寂しくもあった。でも「今年は協働を無事に遂行する」と言い聞かせて、メンバーには状況をシェアしたり進め方を相談したりしながら、なんとか乗り切った。

 

 風邪や荒天など、小さい子どもゆえの当日キャンセルは当然ある。それを含めても、結果的に年間で定員の8割を超える利用があった。


 アンケートに寄せられた感想は、「この事業を続けなくては」という思いに駆られる、切実なものが多い。

「家にいると集中しなくても見られるコンテンツを使ってしまうが、図書館では集中して時間を過ごせた」

「リフレッシュになり、新たな情報や刺激も得られて、子育ても前向きに頑張ろうという気持ちになった」

「久しぶりに母でも妻でもなく、一人の“人間”として時間を過ごすことができた」

 

 たくさんの「ありがとうございます」とか「これからも続けてください」という手書きの文字を見ながら、泣きそうになる。

 たった1時間、図書館で一人になることがこんなに難しいなんて。どうやったら、感謝なんてせず、あたりまえにそれくらいできるような世の中になるんだろう。

 そんなことを考えながら、1年間の事業を終えた。

 

11. 無鉄砲の虫、ふたたび。「協働」にチャレンジ

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「ちょっと本」で貸し出された本(借りた方の了解の上撮影)


 月に1度の「おかあさん、ちょっと本読んできていいよ。」は、回を重ねるうちに少しずつ定員が埋まるようになってきた。

 チラシは育児支援施設や公民館、スーパーやカフェなどに置いてもらっていたものの、肝心の図書館にはしばらく話せずにいた。

「それは図書館の企画ではないし、責任は持てない」「紛らわしいからやめてほしい」などと言われるのでは……と、勝手に腰が引けてしまったのだ。

 だが、定員も安定してきたところで、思い切って階下の図書館にチラシを持って行き、館長にあたる方に簡単にお話しする機会をいただいた。すると、こちらの予想に反して「図書館の企画ではなく、あくまで一任意団体が自主的に行っていることが分かるなら、良いのでは」と、あっさり置かせてもらうことができた。それどころか、むしろ好意的に受け取られたようで、何度か「ちょっと本」の様子を見に来てもらえた。泣き、遊ぶ子どもたちの様子に圧倒されながらも、目を細めて様子を見ていただけたことに胸をなでおろした。

 図書館の了解(と明言できるものはなかったが)を得られたことで、だいぶ安心して、より堂々と自分たちのやっていることを人に話せるようになってきた。

  

 とはいえ、まだ足りないことはたくさんあった。

 市内の育児施設にチラシを持って行くと、「もっと近くでやってくれたら」と言われることがあったし、「ちょっと本」のアンケートでも「近くの公民館でやってもらえると嬉しい」という声もあった。

  たった月に一度、6人を見守るだけでは全然足りないということは、わかりきっていた。とはいえ、仕事を持っている人や自分の子どもの送り迎えもある人たちで構成される私たちのマンパワーでは、市内各公民館での開催は厳しかった。

 場所取りから保険加入に告知、申し込み受付、そして当日の見守りを限られた人数で行うのは、もう完全に「仕事」だ。確固たる資金源も確立していない状態で、私がそれをメンバーに「やってください」なんて言えるわけもない。

 

 そんなわけで、同じ会場で粛々と続けていたわけだが、それですら、無料で使用できる公民館施設は年々利用者が増えているのか、希望する日に和室の予約を入れることも難しくなっていた。メンバーが可能な日程をすり合わせた2~3日の候補日で決めなければいけないから、抽選結果がわかるまではハラハラして待つことしかできなかった。

 さらに、他のイベントのために集まったり、予備の予約をしたりしたくても、一つの団体は週に1コマまでしか予約できないことも壁の一つになっていた。

 

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和室で子どもたちと読んだ絵本の一部

 

 スタッフを増やしつつ、グッズ販売、ワークショップ開催などで資金を集めるか。活動趣旨をまとめたリーフレットを配って募金を集めるか。なんとか楽しさを失わずに活動を広げられないか考えを巡らしていたところに、市報の「協働型提案事業」の文字が目に飛び込んできた。

 

 もともとは、「やってくれるのを待っていられないから、自分でできることを始めた」プロジェクトだった。1年間「ちょっと本」をやってきて、たくさんの人のニーズも確信したのだから、改めて「行政と一緒に」やるという方向で持っていけないか、とは考えていた。市民活動センターの地域団体に登録したことで、「協働」という方法についても少し学んでいた。

 そのタイミングで、チャンスが到来したのだった。行政と協働すれば、市民団体とは別の枠で部屋を確保することもできるかもしれない。 

 慎重に条件を確認すると、どうやら条件には全て該当している。「もうこれは提案したら断られるはずがない」と、またおかしな自信と衝動にスイッチが入った。

 行ける! すぐ申し込まなきゃ。

  たまに発動されるこの衝動モードに突き動かされて、資料を提出した。

 

 しばらくして、協働事業を扱う部署から連絡があり、資料を見ながら内容について説明する機会が与えられた。

 条件を満たしているとはいえ、市のお金で行われる事業を渡せるかをチェックしなければならないのだから、審査は慎重だ。

 丁寧に話しを聞いてもらったが、この辺りから、「行政」という未知の海の中に入るような話が始まった。以前、協働事業に携わった方が「行政とは“言語”が違う」という表現をしていたが、確かにさまざまな進め方は、これまでやってきたどの仕事とも違っていて、戸惑うことも多かった。

 しかし、条件に「市の内部に熟知していること」なんて書いていなかったし、むしろそうではない外の人とやりたいと言っているのだから、と自分に言い聞かせて、堂々と「わからない」を繰り返して教えてもらった。

 

 主に協働するのは図書館課、ただし公民館も利用するので公民館課もサブ的な形で協働するということになった。図書館と公民館は同じ建物にあるのだが、課が違うということで、窓口から考え方、抱える事情などが全く違っていて、接点も少ないというのも驚きだった。

 とはいえ、これまで「ちょっと本」などで公民館にはかなりお世話になっていたし、図書館課からも見に来ていただいていたという経緯もあったせいか、想像以上に好意的に考えていただけた。

 こうして少しずつ理解したり、「わからない」と言ったりしながら書類審査をなんとか通過し、二次審査のプレゼンがやって来た。

 

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 ボランティアセンターの助成金を申請したときと比べたら、希望する金額も相対する審査員の数も会場も規模が大きくなっていたので、緊張しないと言えばうそになるが、初めてではなかったおかげで、ほどほどの緊張で挑むことができた。

 今回は一人きりではなく、協働課と共に提案するという体裁からの安心感もあったし、ははがよむのメンバーも見に来てくれたのは心強かった。

 

 審査員からの質疑では、ニーズをつかむためのアンケートの取り方に問題があることや、定員の少なさなど、かなり細かい部分まで指摘された。終了後は「行けるのか? だめか?」と半々の気持ちだった。

 これまで通りの「ちょっと本」を続けながら、「もしダメだったとしたら、この『ちょっと本』を続ければいいし、止めることだって自由だ」と思い直して、結果を待つことにした。

 

 2か月ほどして、二次審査も通過した連絡があった。合格ラインを何とか超える点数だった。

 「やったー!」という能天気な喜びよりは、「本当に決まったんだ……。これから大変だ」という緊張感がせりあがってきた。

 

10.新しい試みの数々と書店開催

いろいろな企画が生まれた

 

「おかあさん、ちょっと本読んでいいよ」がある程度リズミカルに進む中、ははがよむ からはいくつかの 新しい試みが生まれていった。

 

年1回行おうと決めた交流イベントでは、わらべうたをきっかけにご縁を得た坂野知恵さん、長谷川ひろみさんをゲストに、「子育て中のわたしの時間 種まきのとき」を開催。「ちょっと本」の参加者をはじめ、託児を利用したことのない親子や単身で参加される方も集まった。

温かく染み込む坂野さん、長谷川さんのわらべうたライブとともに、お二人が子育て中に考えたり興味を持ったりしたこと(=種)が、現在の活動につながったという話を聞いた。

 

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翌年はピアニスト安保美希さんの演奏と、「そのまんま」代表、フリーアナウンサーの大西友子さんによる朗読で、「おかあさんがゆっくりできるすてきな時間 ~ピアノと味わう童話の世界」を開催。

アンデルセンの作品がピアノ演奏で深みを増し、公民館の視聴覚室ごと北欧の国々へ旅したような、まさに「すてきな時間」を味わった。

 

おかあさんやそれ以外の方が、「自分のための時間」を持つことができて、なおかつ子どもも一緒に楽しめるように考えた企画は、小規模とはいえ広い範囲からお客様を迎えることができた。

 

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交流イベント以外にも、「異世代交流の会でわらべうたの時間をお願いしたい」と依頼があったり、お店や地域のイベントで読み聞かせをしたりと、ははがよむ の名前はちょこちょこ地域で登場するようになった。

イベントでアンデルセンの童話を読んでいただいた大西さんは、子どもではなくおかあさんに向けた読み聞かせ「ははによむ」を考案してくれた。普段、自分が子どもにする読み聞かせとは全く異なる体験で、おかあさんたちは、まっすぐに届く大西さんのことばに、身じろぎもせずに聴き入っていた。

 

ははがよむ チームのメンバーが外で活躍の場を広げていくのはとても嬉しいことだった。そもそも素晴らしい得意を持つ方たちだから、言わば当然の活躍で、そこに ははがよむ の名前をくっつけてもらえるなんて、本当にありがたいことだと思う。

 

 

書店で私たちにできることとは

 

「ちょっと本」が軌道に乗りメンバーの活動も広がる中、私がもう一つこだわっていたのは、書店との取り組みだったが、これは簡単ではなかった。

 

子どもがまだ小さいころ、書店で自分の本が見られないのは図書館の比ではなかった。新しい本、音の出る本、カラフルなテーブルやいす、時にはおもちゃ。コーナー全体が「おいで、おいで」と手招きしているのだから、子どもは書店の子どもコーナーが大好き。だからこそ、それ以外には付き合ってくれないし、だからといって「じゃあ、ちょっとここにいてね」と置いて行くわけにもいかない。

 

「すぐそこに気になっている本があるのに。チラッと見て、買うかどうか考えたいだけなんだけどなあ。ちょっと見比べられたら買うところを、あきらめてるんだから、これって売上の機会損失でしょ?」

 

子どもをちょっとの間見ていてくれるようなサービスがあった方が良いと思えたが、その方法が思いつかない。子どもの本のコーナーで子どもを見守るのは、安全性からも他のお客さんとの区分けからも難しそうだし、託児スペースを新たに作るなんて、研修時にお世話になった店のバックヤードを思い出すだけでも、到底叶いそうにない。

 

それでもとにかく、書店さんにこのニーズを知っていただきたかったので、手始めに子どもの対象年齢を少し上に上げて、ワークショップの開催を考えた。ワークショップの間、おかあさん(親)は店内で自由に過ごせるという企画だ。

 

比較的近隣の書店さんに企画書を持参して話を聞いていただくと、こちらで考えていた店舗ではなく、カフェ併設型の別店舗での開催はどうか、と言っていただけた。しかも、おかあさんには参加料金内でカフェドリンクも付けてくれるという。

宣伝や当日の受付、運営などはすべて ははがよむ が行い、お店にはスペースの確保やセッティングの協力などをお願いすることになった。

 

こうして開催したのが「ははがよむ が提唱する読書の時間Special おかあさん、ちょっと本読んできていいよ。」 だった。ワークショップではhahanoteのお二人にアロマの香りをひと吹きした革製の栞づくりをしていただいた。いま見返しても美しくて楽しい時間で、その様子を見て興味を示すお客さんもいた。

 

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とはいうものの、宣伝が足りなかったのか、場所柄的なニーズの違いなのか、参加者は少なかった。書店さんの日々の業務の多さ、忙しさを知っているのでこれ以上のお願いもしづらく、「またやりましょう!」というほどの雰囲気を作り出すこともできず、残念ながらこの試みは一回で終わった。

 

だがしかし、書店でのチャレンジは、実はまだあきらめていない。託児スペースがなくても、子どもの遊び場をぐるっと囲む形の什器兼カウンターテーブルを採用した店舗を見つけた時には、興奮した。

 

私たちにもできる工夫があるはずだから、考え続けよう。

9.助成金のプレゼンで開いた他者との回路

助成金って、私たちでももらえるの?

 いきなりこんなことを書くのも気がひけるが、やはりお金は大切である。ははがよむ を立ち上げてしばらくは、やりたいことを企画するたびに家にあるものを持ち寄り、時々は「いつか家で使うこともあるだろう」と買ったりしていたのだが、そうは続かない。子どもを見守るときに必要なものもあるし、他のイベントもしてみたい。

 「ちょっと本」で参加者からお金をいただいてはいるものの、小さい子は急に体調を崩すことはあたりまえだし、天候によっては出かけるのが難しいこともある。参加人数がギリギリまで確定しないのは誰のせいでもないので、そこをやきもきしたくない。

 

 そんなことを考えていたら、地域で活動をしている人から助成金について教えてもらう機会があった。市のボランティアセンターが地域活動団体に対して活動費の一部を助成しており、その方も申請して受けたことがあるというのだ。

 実はこのボランティアセンターでは、まだ子どもがベビーカーを使っていたころに、会報誌のライティングの手伝いをしたことがあった。かつて本の仕事をしたといっても、自分が記事を書くのはおろか、印刷される文章など注意事項や宣伝文句以外書いたことがなかったので、ボランティアとはいえ緊張感があったし、勉強になった。その上、わずかでも人の役に立てることが嬉しかった。

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書類の準備と規約、口座開設

 久々に訪れると、職員のみなさんは変わらずじっくり話を聞いてくれた。申請資料を提出した後にプレゼンテーションを行い、申請が受理されれば助成金を受け取ることができるのだという。ごくごくシンプルな活動、シンプルな成り立ちの団体だから、申請資料の記入はそれほど難しくなかったが、規約の作成と助成金振込のための団体口座開設は初めての経験で、少し戸惑った。

 

 規約は、ネットや資料から自分たちのような小さな団体のものを探して参考にした。口座の開設は、この規約を手に地元の信金に行った。話をすればすぐに開けるものと思っていたら、審査には意外と時間がかかった。できるだけ純朴な顔をして待っていたら、ようやく口座ができた(表情は審査にはまったく影響ない)。

 

 書き直しが必要な部分があったものの、無事書類を提出して、次はいよいよプレゼンだ。12年間の勤め人生活ではついぞ縁がなかったパワポ(PowerPoint)でのプレゼンを、仕事を辞めてから体験する日が来るとは思わなかった。伝えたいこともやりたいことも多くはないので、とにかくわかりやすくしようと心がけた。

  しかし、考えれば考えるほど、不安になってくる。これまで ははがよむ の趣旨を話して「いいね」「そうそう」と返してくれたのは、子育て中の友人や子育て支援をしている女性がほとんどだった。このプレゼンを聞くのは、小さい子を育てる人が身近にいない人かもしれない。最初のころに何度か経験した「おかあさんが子どもに絵本の読み聞かせをする団体」との誤解どころか、自分のことばかり考えているわがままな親と思われるのではないだろうか。一度不安になると、責められる自分の姿が浮かんでしまう。

 「小さい子を育てるおかあさん(親)は本を読む時間がない」と考えたことがない人に、ニーズと活動の意義を理解してもらい、「助成金を出してもいい」と思ってもらうにはどうしたらよいか。私はできるだけ独りよがりにならずに母たちの状況を説明し、これまで数回行った活動で寄せられた感想はできるだけ多く紹介し、子どもたちを見守る様子、おかあさんたちと交流する様子も十分に見せることにした。

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他者に考えが理解される喜び

 いざ当日。センター職員さんに挨拶すると、いつもとは違う緊張の面持ち。もう私の前の申請団体のプレゼンが別室で始まっているのだ。持ち時間は15分、それを超えると切られてしまうと念を押される。

 順番が来て部屋に入ると、私より少し年上から親の代くらいに見える男女の審査員5、6人が、こちらを向いて座っている。私は用意した資料をPCの操作と共にゆっくり読み上げていった。

 審査員からはいくつかの質問があったが、「今までにない発想で、興味深く聞きました」とか「読み聞かせかと思ったら、そうじゃないんですね。これは必要だと思いました」などの共感を表明してくれたので、心底ホッとした。

 「親が本を読む姿を見るのは子どもにとっても良いことだ」「子どもも図書館に行きやすくなるね」といった意見もあった。それについて確かに軽く触れてはいたものの、子どもの読書習慣についての反応が強いことは「なるほど」と思った。親が本好きだからといって必ずしも子どももそうなるとは限らないだろうが、他者はそうした部分にも意義を感じるということは、覚えておこうと思った。

 

 終了して自転車置き場に戻ったとき、止まっていた噴水が動き出すように、ここ数年味わったことのないような熱い感情が胸の奥底からこみ上げてきた。結果が出たわけでもないのだが、考えを他人に聞いてもらい、興味を持ち共感してもらえた実感が子育て中にモヤモヤしていた日々とつながり、全部まとめて認めてもらったような謎の達成感が爆発した。墓地の横に立つセンターから砂利の坂道を自転車で降りる私は、たぶんものすごい笑顔だった。

 しばらくして、申請が受理された通知が届いた。

8.19回続いた「ちょっと本」と、わらべうたのこと

「ちょっと本」始動

  初回の「おかあさん、ちょっと本読んできていいよ」に申し込んでくれたのは3名で、そのうちの2名は知り合いだった。0歳の男の子1名、5歳と1歳半の姉妹、1歳7か月の男の子の4名。バラエティに富む構成だ。定員以下ではあるけれど、来てくれただけで嬉しい。

 受付(という名の座卓)で名前を確認し、料金を頂戴する。これが初めてのことで、とても申し訳なく思ってしまうのだが、お子さんを短い間でも任せていただく以上、少しも不安を感じずにいてほしいから堂々とするようにした。

  この会の趣旨と流れを短く説明し、簡単なわらべうたをする。その後、お子さんの荷物を預かって、おかあさん方には30分間図書館に向かってもらう。

 

 ……扉(ふすま)が閉まった途端、いや、母が自分を抱き上げずに立ち上がった瞬間だったかもしれない。「何かよからぬことが起きるようだぞ」と察した子どもが、母を慌てて追おうとする。

 想定内の反応に、私たちは笑顔で向き合う。

「ママは近くに行ってすぐに戻ってくるよ。本を読んでくるんだよ。遊んで待っていようね」「どんなおもちゃがあるかなー?」

 正直に状況を説明し、目の前の楽しいことに気持ちを向けてもらえるように、ちょうど良さそうなおもちゃをゆっくりと出していく。緊張しつつも、自分の子どもとのやり取りが思い出されて、じんわりする。

 

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 初回では、5歳のお姉ちゃんが重要なムードメーカーになってくれた。泣くこともなく、積極的におもちゃを吟味したり、絵を描いたり。その様子を、小さな子たちが泣きながらも凝視している。スタッフそれぞれで小さい子を抱っこしたり、おもちゃを動かせて見せたり、お姉ちゃんの絵に感心したりしているうちに、おかあさんたちは戻って来た。

 こちらの思うままにいかないのは当然で、子どもたちの遊びたい気分は終了時間が見えてくるころに盛りあがる。おかあさんたちの帰りを心待ちにしていたのは、むしろ私たちだったかもしれない。

 

 

 わらべうたの強さ

 子どもたちを守る責任感には自信があったが、やはり子どもを短時間でも託す側にすれば、資格があるのか、託して大丈夫なのか、と不安に思う人はいるかもしれない。チラシには、保険込みであることや ははがよむ のプロフィールとともに、「託児室ではありません。必要に応じてすぐにお母さんを呼びに行けることが条件となります」といった文言を入れて、私たちの取り組みやスタンスを了解していただくことにした。

  さらに、子どもたちにはできるだけおかあさんと離れる時間の辛さを減らし、楽しく過ごしてもらいたかったので、会の前後におかあさんとスキンシップをとりながら場に慣れる時間を設けることにして、その流れもチラシに明記していた。

 

 この”場慣れ”に大きく貢献したのが、わらべうただった。ちょうど仲間の一人が、下の子の幼稚園でわらべうたサークルに入っていた。わらべうたは、あらゆる年齢が楽しめるし、何も物がなくてもできるからなにしろ安全だし、いつでもどこでもできるという。

 私は初め「わらべうた」と言われてもほとんど知らず、ピンとこなかったので、彼女に仲間内の勉強会をしてもらった。すると、それとは思わずとも知っている歌はいくつかあったし、歌詞の内容も動きも自由で、とてもおもしろかった。

 くすぐったり、抱いてやさしく揺らしたりと、肌に触れることが安心感を生むのだそうだ。子どもたちが最後のくすぐりを期待してドキドキしている様子は、たまらなくかわいいが、そこに至るまでのステップを飛ばさずに行うことが大事なのだという。

 いつも同じように繰り返し歌うこと、一緒にやるかやらないか(乗るか乗らないか)は子どもに任せること、などのアドバイスも受けて、何度か練習した。抱き上げるには大きくなりすぎた実験台の娘も、それ以外の歌や動きは照れながらも嬉しそうに楽しんでいた。その後繰り返しせがまれたのには驚いた。

 

 「ちょっと本」でやるなら、顔のパーツを一つひとつたどっていく「おでこさん」や「にゅうめんそうめん」、色がきれいなシフォンスカーフを使った「にぎりぱっちり」もいいかも。歌の案はいくらでも出てきた。

 一方私は、子どもの前で歌うなんて最も苦手なことだったが、わらべうたリーダーの見振りを盗み見しながら、脇で一緒にやることにした。

 実際に「ちょっと本」でやってみると、子どもたちの反応は抜群だった。うたが聞こえた途端に動きを止め、全ての目が歌い手に集まるのを目の当たりにして、わらべうたの力を実感した。

 こうして、会の初めには上記のうたを、おかあさんが戻ってちょっとおしゃべりをした後、解散するときには体を動かす「おちゃをのみにきてください」を、というのが定番になった。

 

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走り抜けた19回

  「ちょっと本」開始後、和室を押さえた日が図書館休館日だった、という失敗があった。(公民館と休館日が違ったのだ。)パニックで血の気を失う私をよそに、メンバーは冷静に考え、自分たちの漫画を持ち寄って別室に並べ、「おかあさん、ちょっと漫画読んできていいよ」という別バージョンに仕立て上げた。

 こんな感じで私のうっかりも乗り越え、会の流れも見守りも安定してきたところで、お母さんの持ち時間を1時間に延ばした。近所のスーパーの掲示板にチラシを貼ってもらったり、あちこちの支援センターにチラシを配ったりするうちに、遠い地域からも来てくれる方が増えてきた。

 続けるうちにリピーターも出てきて、子どもの成長を感じることもあった。前は泣かなかった子が、記憶力がついて場所とスタッフを見ると「おかあさんと離れるやつだ」と気づいて泣くようになったり、ずっと泣いていた子が他の子を気遣うようになったり。一人の子どもしか育てていない私にとっては、月に一度、こうした成長を見ることで、赤ちゃん時代からみんなそれぞれ違うことがよくわかり、楽しかった。

 

 結局「ちょっと本」では、私たち ははがよむ のメンバーは本に触れるのではなくひたすら子どもと触れ合ったのだが、この時間におかあさんが図書館でリフレッシュしていることはわかったし、仲間と一緒に活動すること自体が楽しかったので、せっせと続けられた。

 この活動は2017年夏からほぼ月1回行い、2019年2月まで19回続いた。この後、市との協働事業化に進むわけだが、それはまた別の回で。

7.「おかあさん、ちょっと本読んできていいよ」スタート

自分たちで子どもを見守れるか

  公園イベントが終わり、私たちは次なるアクションを考えた。知ってもらうための活動も大切だが、やっぱりお母さんたちには実際に「自分のための本の時間」を味わってもらいたい。ということで、ははがよむ スタッフが子どもさんを見守っている間、一人で図書館に行ってきていいよ、という活動をやってみることにした。

 

 私たちの地域の図書館は、どの館も公民館に併設されている。公民館の部屋で私たちが子どもを見ている間に、お母さんたちが図書館へ行ってくる。これは、一人で妄想しているときから何度か考えたプランだった。

 しかし、実際にやるとなると、想像するだけで不安が尽きない。子どもは親が部屋から出ていったら泣いて後を追うのではないか。もし子どもの具合が悪くなったり、万が一けがしたりしたら? 子どもを育てた経験があるとはいえ、資格もない私たちに子どもを一時でも託してくれるだろうか。

 

 こうした不安を一つひとつ、つぶしていった。子どもの様子が変わったときなどは、同じ建物にいるのだから、すぐに連絡を取れるように電話番号を聞いておく。飲み物やオムツ、お気に入りのものなど、子どもが心地よく過ごすためのものは記名して一緒に預けてもらう。アレルギーの観点から、おやつ類は出さない。参加している親子と預かる側が保険に入る……。

 

 自分たちがこれまで体験した「託児」経験や周りの意見を参考に、入念に考えて、まずは近い人に声をかけてお試し会を開催した。子どもを見ている部屋は、和室を借りた。おかあさんたちの時間は30分。

 

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 大人3人で5人の子どもたちにピッタリくっつき、まさに「見守り」をしてみると、月齢によって動きも興味も違い、同時に2人を見ることすら大変で、大わらわだった。あたふたしている間におかあさんたちが戻って来た。

 あっという間だったと笑いながらも、アンケートには「子どもと離れて過ごす貴重な時間だった」「子どもが楽しそうで、安心して預けられた」「またあるなら利用したい」と書いてくれた。

 

 このお試し会をもとに、内容を精査した。おもちゃは各家庭で使わなくなったものを寄せ集めたら、十分な数になった。音が少なくて安全なものに絞り、小さなパーツや危ないものは排除した。絵本も持参したり、図書館から借りたりできる。おかあさんたちには30分間、まるまる図書館で過ごしてきてもらう。

 

 呼び掛けたいことばは「お母さん、ちょっと本読んできていいよ」。メンバーがポンっと出してくれたこの一言が対象者と内容を簡潔に表していたので、そのままタイトルにした。チラシはロゴマークを作ってくれた友人がデザインしてくれて、今回もスッキリした魅力的なものになった。

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有料の壁

  始めるときに私がこだわったのは、チームははがよむ が子どもを見守るという重要な任務を担うにあたり、保険には必ず入ってもらうし、備品を買うときにも持ち出しは無しにすること。公民館で行う以上、人件費は出せないが、できれば薄謝も渡したい。そうしなければ、とても続かないと思った。

 つまり、どんなに安くとも有料にする、ということだった。有料にすることで、こちらの責任感を感じても欲しかった。

 公民館では営利の企画は行えない。準備のために集まり、チラシを作ったり配ったり、細切れの時間を最大限に使って他所のお母さんたちの時間を作っているのだから、営利なわけがない。そうは思うけれど、そもそもは自分たちがやりたくてやっているのだし、集まること自体が楽しいわけだから、とにかくやってみよう、となった。

 

 福祉的な観点のサービスを個人が行う場合はボランティアが基本になってしまうのがやるせなかった。もしこれが少しでも仕事になるのなら、やりがいをもってすべてを注ぎ込むのに。調べてみると、解決する方法は私たちがNPOや社団法人を作るという方法があった。

 個人からチームになって間もない活動にとって、それはあまりにも遠い響きだったけれど、本を読んだりして頭の片隅に引っ掛けておくことにした。ともあれ、まずは公民館にダメと言われない形で自分たちなりにやってみようと、チラシ配りに精を出した。

 

 定員(子ども)6人に対して、スタッフ3人。料金はお茶と保険込みで500円。チラシは公民館の他、子育て支援施設やスーパーの掲示板、親子連れの来るカフェなど、自分たちが子育ての中で行った場所を中心に、思いつく限り置いて回った。

 こうして「私なら、このチラシを見たら絶対に行くね!」と自信満々で、初回を待ったのだった。