12. 自分のための1時間を、あたりまえに味わえるように
「対等」が難しい
私たちが手を挙げた「提案型協働事業」とは、「市民活動団体の自由な発想で市に事業を提案し,採択した提案を提案団体と市が共に実施するもの」(市のホームページより)。
つまり、今回採択された「小さい子どもを育てる人のための本の時間」も、市と ははがよむ が対等な立場で一緒につくりあげるということだ。
とはいえ、これまで一市民団体として申請を出して公民館を使わせてもらったり、図書館にチラシを置かせてもらったりしてきたという意味不明な「させてもらう」精神が育ってしまったうえに、何の後ろ盾もないただのチーム(任意団体)という意識が私を若干委縮させ、「対等っていっても、話しづらいなあ」というのが初めのころの正直な気持ちだった。
図書館側も、これまで関わってきた市民グループとはまた異なる関係性に、戸惑っているように見えた。
それでも何度も話をする中で、お互いに距離感を把握し、約半年をかけて「共に実施する」意識が醸成されていったように思う。
保育室のありがたさ
保育を担当する人は、当初の予定では市民から募集し、子育てに少し余裕が出てきた方や、子どもが好きな方、本が好きな方から採用するつもりだった。話し合いの中で、公民館自身から保育室の保育士さんにお願いしてみる案を提案してくれた。
公民館では、従来から小さい子どもを育てる親のための講座がいくつも企画されており、その時間中、子どもたちは保育室で過ごすことができる。市が選定した保育士さんたちは保育室の様子や通常の保育に慣れたベテラン揃いなので、安心感が大きい。
私も半年間の講座を受講し、その間、子どもは保育室でお世話になった。子どもの発達や性格を見て、他の子との関りを促したり、親と離れる寂しさに寄り添ったり、ただ預かって見ている以上の保育をしてくれることがとても嬉しかった。
公民館が企画する事業の保育は一定期間同じメンバーで同じ時間(2時間が多い)を過ごす保育がメインだが、ははがよむ の事業は参加者も毎回違うし、時間も1時間と短いので、保育士さんの意見を聞きながら十全に準備をした。
「小さい子どもを育てる人のための本の時間」では、利用者は子どもを保育室に預けた後、図書館で好きなように過ごせる。ただし、万が一子どもに不調が見られた時にはすぐに声をかけられるように、目印のバッチを作った。
チラシはいつもの方にお願いして、見やすく、伝わりやすく、スタイリッシュなものになった。
定員は10時から4名、11時から4名。決して多くない人数とはいえ、果たしてどれほど申し込みがあるのか。チラシはあちこちに置いてきて、反応も感じてはいたものの、市報に募集が掲載されたのを見ると緊張感がいや増すのだった。
あたりまえになるといい
ふたを開けてみると、受付初日から申し込みがあり、その後も続々とメールが届いた。1回目は空席があったものの、2回目以降はキャンセル待ちが発生し、リピーターも出てきた。
どの利用者も、図書館から戻った表情は穏やかだった。
これまで子どもたちを見守る役だった私は、この1年間は事務的なサポートに徹することになった。保育士さんとおかあさんとの様子を見守り、必要があれば手を貸し、質問や問題に対応する。図書館と公民館を行き来して、問題がないか確認する。
仲間と一緒にワイワイ過ごした前年とは全く違う役回りで、少し寂しくもあった。でも「今年は協働を無事に遂行する」と言い聞かせて、メンバーには状況をシェアしたり進め方を相談したりしながら、なんとか乗り切った。
風邪や荒天など、小さい子どもゆえの当日キャンセルは当然ある。それを含めても、結果的に年間で定員の8割を超える利用があった。
アンケートに寄せられた感想は、「この事業を続けなくては」という思いに駆られる、切実なものが多い。
「家にいると集中しなくても見られるコンテンツを使ってしまうが、図書館では集中して時間を過ごせた」
「リフレッシュになり、新たな情報や刺激も得られて、子育ても前向きに頑張ろうという気持ちになった」
「久しぶりに母でも妻でもなく、一人の“人間”として時間を過ごすことができた」
たくさんの「ありがとうございます」とか「これからも続けてください」という手書きの文字を見ながら、泣きそうになる。
たった1時間、図書館で一人になることがこんなに難しいなんて。どうやったら、感謝なんてせず、あたりまえにそれくらいできるような世の中になるんだろう。
そんなことを考えながら、1年間の事業を終えた。