お母さんは本を読む時間がない

”ははがよむ” あおきともこのブログ

9.助成金のプレゼンで開いた他者との回路

助成金って、私たちでももらえるの?

 いきなりこんなことを書くのも気がひけるが、やはりお金は大切である。ははがよむ を立ち上げてしばらくは、やりたいことを企画するたびに家にあるものを持ち寄り、時々は「いつか家で使うこともあるだろう」と買ったりしていたのだが、そうは続かない。子どもを見守るときに必要なものもあるし、他のイベントもしてみたい。

 「ちょっと本」で参加者からお金をいただいてはいるものの、小さい子は急に体調を崩すことはあたりまえだし、天候によっては出かけるのが難しいこともある。参加人数がギリギリまで確定しないのは誰のせいでもないので、そこをやきもきしたくない。

 

 そんなことを考えていたら、地域で活動をしている人から助成金について教えてもらう機会があった。市のボランティアセンターが地域活動団体に対して活動費の一部を助成しており、その方も申請して受けたことがあるというのだ。

 実はこのボランティアセンターでは、まだ子どもがベビーカーを使っていたころに、会報誌のライティングの手伝いをしたことがあった。かつて本の仕事をしたといっても、自分が記事を書くのはおろか、印刷される文章など注意事項や宣伝文句以外書いたことがなかったので、ボランティアとはいえ緊張感があったし、勉強になった。その上、わずかでも人の役に立てることが嬉しかった。

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書類の準備と規約、口座開設

 久々に訪れると、職員のみなさんは変わらずじっくり話を聞いてくれた。申請資料を提出した後にプレゼンテーションを行い、申請が受理されれば助成金を受け取ることができるのだという。ごくごくシンプルな活動、シンプルな成り立ちの団体だから、申請資料の記入はそれほど難しくなかったが、規約の作成と助成金振込のための団体口座開設は初めての経験で、少し戸惑った。

 

 規約は、ネットや資料から自分たちのような小さな団体のものを探して参考にした。口座の開設は、この規約を手に地元の信金に行った。話をすればすぐに開けるものと思っていたら、審査には意外と時間がかかった。できるだけ純朴な顔をして待っていたら、ようやく口座ができた(表情は審査にはまったく影響ない)。

 

 書き直しが必要な部分があったものの、無事書類を提出して、次はいよいよプレゼンだ。12年間の勤め人生活ではついぞ縁がなかったパワポ(PowerPoint)でのプレゼンを、仕事を辞めてから体験する日が来るとは思わなかった。伝えたいこともやりたいことも多くはないので、とにかくわかりやすくしようと心がけた。

  しかし、考えれば考えるほど、不安になってくる。これまで ははがよむ の趣旨を話して「いいね」「そうそう」と返してくれたのは、子育て中の友人や子育て支援をしている女性がほとんどだった。このプレゼンを聞くのは、小さい子を育てる人が身近にいない人かもしれない。最初のころに何度か経験した「おかあさんが子どもに絵本の読み聞かせをする団体」との誤解どころか、自分のことばかり考えているわがままな親と思われるのではないだろうか。一度不安になると、責められる自分の姿が浮かんでしまう。

 「小さい子を育てるおかあさん(親)は本を読む時間がない」と考えたことがない人に、ニーズと活動の意義を理解してもらい、「助成金を出してもいい」と思ってもらうにはどうしたらよいか。私はできるだけ独りよがりにならずに母たちの状況を説明し、これまで数回行った活動で寄せられた感想はできるだけ多く紹介し、子どもたちを見守る様子、おかあさんたちと交流する様子も十分に見せることにした。

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他者に考えが理解される喜び

 いざ当日。センター職員さんに挨拶すると、いつもとは違う緊張の面持ち。もう私の前の申請団体のプレゼンが別室で始まっているのだ。持ち時間は15分、それを超えると切られてしまうと念を押される。

 順番が来て部屋に入ると、私より少し年上から親の代くらいに見える男女の審査員5、6人が、こちらを向いて座っている。私は用意した資料をPCの操作と共にゆっくり読み上げていった。

 審査員からはいくつかの質問があったが、「今までにない発想で、興味深く聞きました」とか「読み聞かせかと思ったら、そうじゃないんですね。これは必要だと思いました」などの共感を表明してくれたので、心底ホッとした。

 「親が本を読む姿を見るのは子どもにとっても良いことだ」「子どもも図書館に行きやすくなるね」といった意見もあった。それについて確かに軽く触れてはいたものの、子どもの読書習慣についての反応が強いことは「なるほど」と思った。親が本好きだからといって必ずしも子どももそうなるとは限らないだろうが、他者はそうした部分にも意義を感じるということは、覚えておこうと思った。

 

 終了して自転車置き場に戻ったとき、止まっていた噴水が動き出すように、ここ数年味わったことのないような熱い感情が胸の奥底からこみ上げてきた。結果が出たわけでもないのだが、考えを他人に聞いてもらい、興味を持ち共感してもらえた実感が子育て中にモヤモヤしていた日々とつながり、全部まとめて認めてもらったような謎の達成感が爆発した。墓地の横に立つセンターから砂利の坂道を自転車で降りる私は、たぶんものすごい笑顔だった。

 しばらくして、申請が受理された通知が届いた。