お母さんは本を読む時間がない

”ははがよむ” あおきともこのブログ

0.はじめに

 小さい子どもがいる母も、自分の本を読む時間がほしい! 

 そんな心の叫びから、「ははがよむ」は始まりました。

 

 子どもがまだ小さかったころ、出かけるとどこに行っても「ママ」の顔を求められ、自分の好きなことをする隙間もないような窮屈な気持ちを味わいました。

 子どもと過ごす時間はとても幸せで楽しくもあったけれど、自分の好きなことについて話したり、子どもには不向きかもしれないものを楽しんだりすることを、世の中があまり歓迎していないように感じて、「つまんないな」と思いました。

 

 子どもが成長して少し余裕が生まれると、少し前に自分が切望した「自分の本を読む時間」を持てなかったことを、広く世に問いたいという衝動のようなものがこみ上げてきて、周りの知人にことあるごとにその話をするようになりました。

 「確かに!」と同意する人もいれば、「そんなこと、考えたこともなかった」と、私の勢いに驚く人もいましたが、反対する人はいませんでした。ありがたいことに、多くの人が「やってみたいなら、やってみればいい」と背中を押してくれました。

 

 名称については、少し悩みました。母のみならず、子育てしている父も、もしかしたら祖父母だって、自分の時間が必要です。「ははが」とすることで、逆に母を縛ってしまうのではないか、とも考えました。

 でも、現状として私の周りで同じニーズを抱えていたのは母ばかりだったし、なにより私自身が母として悩み、考えたことなので、思い切って「ははが」としました。

 

 「子どもも自分の好きな本を読むし、母も自分の本を読む姿をロゴマークにしたい」と、子どもの幼稚園で知り合えたデザイナーの友人に相談したら、とてもすてきな図案を考えてくれました。「ははがよむ」の言いたいこと、求める空気を的確に伝えるこのマークが、全ての始まりでした。

 

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 それでも初めのころは、「ははがよむ」と聞くや、母親が子どもに読むんだな、と想定して、子どもに絵本の読み聞かせをするグループと勘違いされることがよくありました。

 そもそも母というのは子に対応する肩書ですから、わざわざ名称に「母」をうたっている場合、そう考えるのは自然とも言えます。そういう意味では「私が読む」というあたりまえの呼称でもよかったのかもしれませんが、いや、そのあたりまえのことができないのが「母」なんですよ、ということを伝えられたら。そして、そんなことすら言う必要もない、母も自分の時間をあたりまえに持てる世の中になったら、「ははがよむ」は必要なくなるのだと思います。

 

 「ははがよむ」結成でかけがえのない仲間もでき、一緒に考える中で、子育て中にも自分の時間を持つ大切さを考える会を企画したり、仲間の得意を持ち寄ってみんなで本を楽しむ会を開いたり、公園に雑誌や本を持って行って子どもが遊ぶ傍らで本を読める空間を作ってみたり、自分たちも楽しみながらいろいろな試みをしてきました。

 2019年からは国分寺市の提案型協働事業に採択され、図書館託児の実践にも取り組んでいます。

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 自分がしんどかった時期からいまや7、8年が経過して、状況はだいぶ変わってきました。母だけでなく父も、それどころか、あらゆる肩書にくくられる違和感について、世の中が考え始めています。

 でも、まだ入り口にすぎません。全体像ではなく個別の方々を見る限り、少なくとも母を取り囲む状況はまだまだ窮屈そうです。

 

 もちろん、母自身としてそれほど窮屈に感じていない人もいますが、私が活動の中で出会ってきた方たちは、当時の私と同じくらい、またはそれよりももっと切実に自分の時間を必要としていました。

 切実の中身は人それぞれでも、「欲しいもの」は重なる部分があるから、私は当時の私のために、欲しいものを作りたいと思っています。

 

 このブログでは、これまで細々と自分なりにやってきたことの振り返りや、これからやってみたいこと、悩みや考えなどを気まぐれに書き綴ります。

 子育てする母の内情の一端を知ってもらえたり、もし同じようなことを何かやってみたいと思う人がいたら、どこか少しでも役に立つものになったりすれば嬉しいけれど、まあそんな大それたことは考えずに、つらつらと書いてみようと思います。